いやあ。とうとうこの本読むことができました。というのも、1998年にアメリカの学会に初めて参加した時に、その会場であったインディアナ大学の体育の学部長であり、野外の主任だったジョー・マイヤー先生の授業を見学させてもらった時のテキストが、「Wilderness and the American Mind」でした。
その後、半分哲学書なので、積極的に手に入れようとは思わず、ちょっと気になる程度でした。
WEAJを立ち上げる時に、「ウィルダネス」という言葉を日本で説明する必要があるなあと思い、アメリカの仲間の誰に聞いても、やはりこの本を読んでおけという事でしたので、原書を手にしたわけです。ところが、訳しても理解できないという難解さで、読破はあえなくギブアップ。長らく本棚で眠っていました。
今回この翻訳本を手に入れたきっかけは、LNTJ を設立するにあたり、ご協力くださる理事の方々に、ウィルダネスの概念を誠実に伝えようと、もう一度読み直してみたり、これまで集めてた論文からブログ「ウィルダネスって何ですか?」を書いたりしている中で、突然この翻訳本がネット検索で引っかかりました(Googleのアルゴリズムさまさま)。お値段も少々お高く、アマゾンではさらに定価よりも高いのですが(絶版?)、迷う事なく即購入したというわけです。
このブログでは、日本でウィルダネスという言葉を使うみなさんに、この本をぜひ読んでもらいので、その内容を3回か4回に分けて紹介しようと思います。
日本の自然も「ウィルダネス」という自然を表す言葉で見つめ直すと、さらに奥深い心の旅ができると思います。
あと、このブログでは、原典の「原生自然」という言葉をそのまま採用します。「ウィルダネス=原生自然」です。
感謝:翻訳に尽力された千葉商科大学人間社会学部教授松野弘先生に心から敬意を表します。
目次
序 章 原生自然とは何か
第1章 旧世界における自然観の起源
第2章 原生自然の状態
第3章 ロマン主義と原生自然
第4章 アメリカの原生自然
序 章 原生自然とは何か
まず「Wilderness」の語源的意味について、多くの英単語の起源となっているゲルマン語で「Will」は制御不能なという意味があるそうです。また「Wild」の起源とされる「Wilded」は手におえない、無秩序なという意味があります。また、古代英語で「-deor」は、人間の支配下にない生物を意味し、「Wildeor」は、荒涼とした場所に生息する獰猛で、空想上の獣を表すに用いられました。この言葉から派生した「Wilderness」は、語源的には野生生物の生息する人の制御不能な場所を表すようです。
その後ウィルダネスは、アメリカの開拓、建国を経て、上述した野蛮な概念と相反し、歴史、文化のあるヨーロッパに対するアメリカのアイデンティティの象徴として、美しく、清浄で、理性的であると言ったポジティブな概念を持つようになりました。
近年では、野外レクリエーション資源検討委員会は「共用の道路がない10万エーカー以上の土地」と定義づけました。国家原生自然保全制度の中では「土地とその生活共同体が、人間によって妨害されない土地、もしくは人間がいたとしても留まらない訪問者である土地」と定義しました。いずれの定義にせよ、道とは何か、どのくらいの訪問者まで許容できるのかと言った問題が残っています。
つまり、原生自然とは何かではなく、人間が何を原生自然とするのかが、本書のより重要なテーマとなります。
第1章 旧世界における自然観の起源
原生自然の概念は、人間は楽園を求めることを善とした、ユダヤ=キリスト教の思想に深く根ざしています。楽園が安全で、進歩的で、幸福なものであるならば、原生自然は、その対極にあるものとして、最大の悪とされました。
この思想から中世ヨーロッパでは、原生自然は、魔物がすみ、人が生きていけきない、呪われた土地として認識されるようになりました。現実的に当時のヨーロッパには、そのような森がまだ残されており、人々の生活を守るために、開拓する対象でした。
一方で、キリスト教の影響を受けることのなかった、東洋では、西洋とは全くことなった自然観を形成しました。ジャナイ教、ヒンズー教、仏教では、自然はむしろ神の象徴、もしくは神そのものとして崇拝されました。また、西洋文化よりも1000年以上早くから、原生自然を賛美する風景画が生まれました。
新世界アメリカに入植したヨーロッパ人は、原生自然に対する西洋の偏見を抱いたまま海を渡りました。
第2章 原生自然の状態
アメリカの開拓者にとって原生自然は彼らの克服対象であり、開拓こそ正義であることに疑う余地はありませんでした。さらに、彼らの自身の手で、混沌とした原生自然を切り開き、秩序ある文化をもたらす事は、彼らの自尊心をかき立て、フロンティアスピリットを醸成していきました。
つまり、原生自然は克服対象でありながら、開拓の欲望を満たすために、不可欠な存在となっていきました。近くに煙突の煙が見えると、その土地を離れ、さらに西に進むとったエピソードも紹介されていました。こうして、原生自然と対峙するフロンティの最前線は、アメリカ人にとって自己実現への最大の欲求となりました。
その後、開拓する原生自然が消滅し、原生自然の倫理的価値に気づき始めてから今日においてまだ、アメリカ人の精神には、このフロンティアスピリットが根強く残ることとなりました。
第3章ロマン主義と原生自然
19世紀初めにヨーロッパで、近代産業や科学技術へのアンチテーゼとして、自然と人との情緒的一体感を重視するロマン主義文化が起こりました。この頃のヨーロッパでは未開の地はほとんどなくなり、むしろ原生自然は、希少なものであり、神秘的な場所であるとする思想にもつながりました。そして、このロマン主義者たちの興味は、原生自然の残る新世界アメリカに向けられました。
また、科学者たちが、宇宙や地球の真の姿を明らかにしていくにつて、森林、砂漠、海洋などの地球上の環境に対する重要性が認識されるようになり、自然に対する神秘性や、畏怖の念をさらにかき立てることになりました。
これらのロマン主義者がアメリカに渡ると、アメリカの残された原生自然を目の間に、深く浸透しました。彼ら作品の多くは、アメリカにある山岳、渓谷などの原生自然を、写実的かつ壮大に描きました。また、原生自然を賛美する文学も盛んになり、否定的、破壊対象としての原生自然の概念から、美的価値や神秘性の対象とする価値観が生まれ始めました。
第4章アメリカの原生自然
アメリカ人にとって原生自然が特別な意味を持つために、ヨーロッパからの独立が大きな要因にもなりました。
依然ヨーロッパの植民地であったアメリカは、独自の文化を持つことこそ、真の独立国家の証であると考えました。アメリカの歴史は浅く、ヨーロッパの文学、芸術には遠く及ばないことを理解していましたが、ヨーロッパにないアメリカの独自性として原生自然の価値に気づくようになりました。
また、同時期のロマン主義の影響により、これらの原生自然の美的価値が伝えられ、神格化し、アメリカ人のアイデンティティの象徴となっていきました。
パート1の終わりに
伝統的な西洋的自然観は、文明vs自然=善vs悪のような2元論的な思想であることは、みなさんご存知ですが、ウィルダネスという言葉は、アメリカ人と共に生きたことにより、伝統的な西洋的自然観を残しつつも、アメリカ人のアイデンティティとして肯定的な概念として存在しているのですね。
特定の事象に対して、善と悪が入り混じるなんて、不思議な感覚ですが、ちょ待ってよ、日本人の自然観も恐れと敬うが混在する畏敬の念に代表されるように、相反する感情が混在してますよね。
アメリカ人のウィルダネスって、もしかしたら、我々が自然に対して伝統的に持っている自然観にむしろ近い思想を表しているのかもしれませんね。パート2以降が楽しみです。
参考
原生自然とアメリカ人の精神(ミネルヴァ書房)
https://www.minervashobo.co.jp/book/b209187.html
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