「ウィルダネス」っていう自然を表す言葉、日本人にはなかなか馴染みがないですよね。2013年にWilderness Education Association Japanを立ち上げる時に、ウィルダネスをどう訳すか、めちゃくちゃ悩みました。結局訳せずにそのままウィルダネス。
国内導入が先行した「Wilderness Medicine」は、あっさり「野外救急」と訳しちゃうし。では、「Wilderness Education 」は「野外教育」?じゃあ「Outdoor Education」は?
「Wilderness Education 」vs「Outdoor Education」を理解するためには、北米と日本の野外の歴史、アジアの動向など包括的に理解する必要があるので、今回はウィルダネスにポイントを絞ってお話しします。
日本の辞書では「荒地」「荒野」などと訳されています。日本人にとって「荒地」「荒野」ってどんなイメージですか?荒れ果てた農地や森林伐採地?西部劇の舞台?日本人がイメージは「荒野」は、英語では「westeland」かもしれませんね。
「Wilderness」と英語で入力してネットで調べてみると、「荒地」「荒野」のイメージとは程遠い、美しい自然の写真がたくさん出てくるはずです。シンプルに「ウィルダネス教育」とは、そういった原生自然の中で行う「野外教育」と考えて、大きなズレはないでしょう。
ただ、「ウィルダネス」という言葉はめちゃくちゃ奥が深いので、今回はウィルダネスに関する文献や、アメリカの野外指導者と情報交換した内容から、私なりに理解している範囲でお伝えし、最後に日本でのウィルダネスプログラムの展開のアイディアを紹介しますね。
目次
ウィルダネスの歴史と多角的定義
ウィルダネスプログラムの定義
日本におけるウィルダネスプログラムの展開
ウィルダネスの歴史と多角的定義
聖書におけるウィルダネス
実は聖書には「ウィルダネス」という言葉めちゃくちゃ出てきます。ヘブライ語で書かれた旧約聖書中の「アイソレイトした場所(エレモス)」を表すギリシア語の言葉として、新約聖書には「ウィルダネス」が当てられたそうです。
引用:Midbar, Arabah and Eremos—Biblical Wilderness
聖書の中に、イエス・キリストは、ウィルダネスの中で40日間ひとりで過ごす洗礼を受け、霊性や神の存在に気づいたというお話があります。
これ以外にも、ウィルダネスは、食料と水を与えてくれる場所、危険、再生、悪霊、神の存在する場という文脈で使われており、キリスト教徒にとって、ウィルダネスは神聖な場所であるという思想が根底にあるようです。
フロンティアにおけるウィルダネス
アメリカの野外指導者とウィルダネスの定義について話をした時に、ヨーロッパ人がアメリカ大陸来た時には、そこにはウィルダネスしかなかったと言います。西部開拓により、森林を伐採し、時には先住民の土地を奪い、ウィルダネスはなくなっていったということです。
当時の入植者によって、先住民をも含めたウィルダネスは、家族や生活を守るための克服すべき対象であったに違いありません。
飯田(1992)は、イギリスで生まれた冒険教育が、1960年代のアメリカで爆発的に発展した理由の一つとして、アメリカ人のフロンティアスピリットを挙げています。自然を克服対象の一つとする冒険教育の舞台としてウィルダネスが選ばれたことも納得できますね。
引用:森林を生かした野外教育, 全国林業改良普及教会
物理的空間としてのウィルダネス
一方で、ウィルダネスは、法規で定められた物理的空間であるという見解もあります。
1852年にヘンリー・ソロー は「森の生活」を著し、メイン州の森を国が保存地区とすることを訴え、ゾーニングによる環境保存の思想を先駆けました。
その後、アーノルド・レオポルドが、1924年にヒラ国有林内にウィルダネスエリアを設けることで、初めてウィルダネスが法的な裏付けを得ました。
その後、ウィルダネス法(1964)の制定により、国立ウィルダネス保存システム(NWPS)の元、管理された土地をウィルダネスと考えられるようになりました。同法の目的は以下の通りです。
1)人間の影響がない(手つかずの)空間を
2)動力によらないレクリエーション(=アウトドアパスーツ)の機会を提供するために
3)自然状態を保つように計画・管理する
この法律により、ウィルダネスは、意識から物理的、限定的な空間として実在するものとになりました。ところが、現実的にアメリカ人がウィルダネスと言うときは、何もこのウィルダネスエリアに限ったことのでもなさそうです。WEAコースも必ずウィルダネスエリアで行っているわけではありません。この定義をウィルダネスとするならば、法的な定めがない他国にはウィルダネスは無くなってしまいますものね。
とは言え、ウィルダネスエリアの管理の目的が、アウトドアパスーツと定められたことは、アメリカの野外教育の多くがウィルダネエクスペディションを導入している背景にもなっています。
日本の国立公園の目的にも本当は「国民の保健、休養及び教化に資する」ってあるんですけどね。なかなか野外教育の場とはなっていないようです。
精神文化としてのウィルダネス
私が初めてアメリカの国立公園を訪れたのは、2002年のグランドティトンでした。そのゲートウェイとなるジャクソンホールという可愛らい街にまず滞在したのですが、なんと言ってもダントツに印象に残っているのが、ギャラリーの多さと、そこにある風景画の圧倒的な美しさでした。
普通の観光客が、こういった絵画をお土産に買って帰るなんて、なんて豊かな自然観光文化のある国なんだろうと目から鱗でした。
これは、グランドティトンだけではなく、アメリの美術史における、一つの大きな潮流であったそうです。西田(2002)の分析では、これらの風景画は、1825年から1875年の50年間が最盛期で、西部を中心とした壮大な山岳、峡谷、瀑布などが、写実的かつ荘厳に描かれるのが特徴でした。これらの絵画は、アメリカの汎神論的な自然観を形成し、自然を神格化したエマソンや、森の生活のソローの思想にも大きな影響を与え、後の国立公園運動につながりました。
引用:19世紀のアメリカ風景画にみる大自然へのまなざしの特性と国立公園の関係性,ランドスケープ研究65(5)
同じキリスト教を信仰するヨーロッパとアメリカですが、当時のヨーロッパの風景画が、田園や牧農を描いていたのに対して、アメリカでは壮大なウィルダネスを描いたことにより、キリストが洗礼を受けた荒野としてのウィルダネスから、自然を神格化し、崇高する精神文化としてのウィルダネスへと変わっていきました。
そう考えると、古代の自然崇拝を起源とする日本人の元々の自然観にウィルダネスという言葉が意味する精神的側面は近いのかもしれませんね。
心のウィルダネス
Askham (1975)は、Wilderness as State of Mind(心のウィルダネス)という表現を用い、ウィルダネスとは、生態学的、行政的条件ではなく、人々の背景や成熟によって異なる社会心理学的問題であると言っています。
引用:Annual Rural Sociological Society, San Francisco, 1975
確かに、花山キャンプで、キャンプ場周辺の山は、私にとってはあまりウィルダネスを感じる場所ではありませんが、キャンプに参加する幼児たちにとれば、めちゃくちゃウィルダネスですよね。東京の方であれば、花山キャンプに来ただけでもウィルダネスかもしれません。
逆に、NWPSで指定されたエリアに、たくさんハイカーが入っていたら、ウィルダネスとは感じにくいですよね。繁忙期の室堂や涸沢はあまりウィルダネスっぽくないし、そこで野外教育をやろうとも思いません。
実は、アメリカの野外教育者の間では、ウィルダネスの条件として、物理的な環境よりも、「心のウィルダネス」が重要とされています。と同時に、この考えが、ウィルダネス教育の境界線を分かりにくくしているとも言えます。
Borrie (1995) はアメリカ人のウィルダネスに関する思想や哲学をレビューし、以下の6つの因子からなるウィルダネス体験尺度を作りました。
1)自然との一体感
2)時間の感覚の喪失
3)原始性
4)謙虚さ
5)静寂
6)環境への配慮
引用:Measuring the multiple, deep, and unfolding aspects of the wilderness experience using the experience sampling method, Virginia Polytechnic Institute and State University
これらをより多くか感じるかどうかが、ウィルダネス体験度が高いということです。確かに総合的に見ればウィルダネス環境での一貫性はありそうですが、個別の因子では別に自然の中にいなくても感じるものですよね。
このように、ウィルダネスという言葉には、行政的な保存地区という物理的な定義と、その人にとってどう感じているのかという心理的な定義が微妙に融合しているのです。また、そのウィルダネスという環境に対して、神聖な場所であり、克服対象であり、崇高な場所であるというマインドが脈々と流れています。
ウィルダネスプログラムの定義
ではそのような多義的な意味合いを持つウィルダネスにおける教育とはどんな教育でしょうか?ウィルダネス環境でおこなわる教育を包括的にWilderness Experience Program:WEPと言います。
Dawson(1998)は、WEPの特性として、以下の3つをあげています。
1)ウィルダネス環境(ウィルダネス法に定められたエリア、もしくはそれに類する環境)での活動
2)原始的なレクリエーション・旅行(=アウトドアパスーツ)
3)自己成長、人間関係、教育、リーダーシップ、セラピーを目的とした自己対自己、自己対他者の活動
引用:Defining Characteristics of U.S.A. Wilderness Experience Programs, International Journal of Wilderness 4(3),22-27
Frieseら(1998)は、WEPについて以下の3点を挙げている。
1)目的として、自己成長、セラピー、リーダーシップ、チームビルディング、リハビリ、態度変容、薬物依存、障害の受容、精神的再生、身体的挑戦、人格形成
2)活動に必要なテクニカルスキルの獲得が不可欠であるが、それらは目的達成のために2次的
3)NWPSの指定地、車道のなく、自然性、孤立性を有する公的、私的土地
引用:The Wilderness Experience Program Industry in the United States: Characteristics and Dynamics, Journal of Experiential Education 21, 40-45
Brand&Smith(1999)は、効果的なWEPとして、以下の3つをあげています。
1)ストレスのかかる未知の環境
2)リスクが認知できその結果が現実的な課題
3)脱日常に適応できる十分な時間
引用:Key Element of A Successful Wilderness Program for Delinquent, Australian Journal of Outdoor Education 4(1)40-17
以上をまとめると、「原生自然」において、「アウトドアパスーツ」を用いて、特定の「教育目標」を達成するプログラムであり、その「原生自然」の特徴としては、「未知性」「現実的リスク」「脱日常」「孤立性」「隔離性」などが挙げられるようです。
日本におけるウィルダネスプログラムの展開
「ウィルダネス」という聞き慣れない言葉を使われてしまうと、「それどこ?」「日本にはない?」なんて誤解を生んでしまいますが、実はアメリカ人の、日本人とはとても近い自然観から生まれた教育活動でした。
一方では、日本にはウィルダネス法がないので、当然ウィルダネスエリアという保存地区はないのですが、それと要素を同じくする自然環境が国土に占める割合は世界有数といえます。
とはいえ、日本とアメリカでは国土の広さも、自然のスケールも、人口密度も、観光行動のパターンも、野外教育の対する認知も全く異なりますので、WEPを展開する上でのヒントについて私の考えを述べて終わりにしたいと思います。
エリアの工夫
アメリカのウィルダネスエリアは、日本の国立公園に近いのかなあというイメージがありますが、日本の国立公園は、民地、公地が入り混じり、必ずしも、WEPが定義する原生自然の要素を満たしている所ばかりではありません。また、山頂周辺や、風光明美な場所は、観光インフラが充実し、原生とはなかな言い難い場所もあります。
そこで、メジャーな場所でなくとも、あまり観光の対象となっていない山域を選ぶことによって、上述したウィルダネスの要素を高めることができます。また、他のビジターを気にすることなく、カリキュラムに集中することができます。
ルートの工夫
日本ほど、小さな山でも、人が入れるように登山道が整備された国はないのではないでしょうか?登山道は、目的地まで山の中を移動するために、とても効率的で、ありがたいルート選択の一つですが、時として、参加者から、判断の機会を奪ってしまうものでもあります。
上述した、マイナーな山域では、どうしても山のボリュームに限界があり、登山道を選択してしまうと、時として教育目標を達成するための体験として、どうしても問題不足、負荷不足、時間不足が起こってしまいます。
そんなときに、私は、地図を見て、オフトレイルのルートを選択するようにしています。尾根道の藪こぎや、谷筋の沢歩きなど、目的地を目指すために、特徴的な地形を選びます。
そこには、いくつもの難所や、分岐点があり、通常の登山道では味わえない原生自然の要素が溢れています。
時期の工夫
同じポピュラーな山でも、時期を外すことで、全く違った雰囲気になります。週末よりは平日がいいですし、夏山よりは、春や秋の方が人気もグッとなくなります。
私が運営する夏季の長期キャンプでは、一般の登山者と遭遇する場所を通過したり、滞在する時は、あえて週末を外した登山計画にします。
私たち野外教育の行動パターンは、一般の登山者とは異なりますので、自分たちはマイノリティーだと思って山に入ることが大切です。
対象に応じたプログラム
心のウィルダネスは、対象者によって異なります。WEPで重要なことは、物理的な隔離よりも、心理的な隔離、現実的なリスク認知、非日常性、未知性です。
大人では、ワンステップの小滝も、幼児にとったら立ちはだかる壁です。同じ大人でも、その経験値によって、心のウィルダネスは大きく異なります。私たちにとったら良く見る雲海やご来光も、山が初めての人にとったら、一生に一度のウィルダネス体験になるかもしれません。
対象の特性をよく理解し、心のウィルダネス環境を提供することが重要です。
期間の長期化とロジック
上述した工夫をする上で、一定の期間があることが前提となります。
市場に合わせてプログラムはどんどん短期化しましたが、そこで教育効果というベネフィットが保証されなければ、野外教育は不毛なリスクを冒すだけの活動になります。
WEPを提供する上で、環境と集団への適応、教育効果を達成するためにカリキュラム、環境の変化やインシデントに柔軟に対応するゆとりを考え、必要十分な期間を提案する必要があります。
WEPは、期間の長期化と、一見するとハイリスクなルート、時期、山域、活動、それらの結果として高額な参加費を提案することになるので、何よりも、その対価に見合う、教育効果の保証と、そのロジックが大切なのかもしれませんね。
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