2026年10月にLNTJのスポンサーの市場調査と、その後のLNTチャイナとの連携協議の橋渡しで、憧れのチベット自治区拉薩(ラサ)を訪れることができました。何か野外教育につながることはないかとアンテナを立てましたが、心に残るのはチベット問題のことばかり。今回は、ブログの趣旨とは異なりますが、現地でしか聞けない、感じられない、チベットの方のタブーをレポートしようと思います。
目次
チベットとは
ダライラマ14世
文化大革命
二人のパンチェンラマ
チベットとは
チベット高原
言わずと知れた、「世界の屋根」、「アジアの水瓶」と呼ばれるチベット高原。平均標高4000mと、国土のほとんどが草原と山岳地帯で構成されています。チベット自治区だけでなく、中国の青海省、甘粛省南部、四川省西部、雲南省北西部もチベット高原に含まれます。
ご存知の通り、チベット高原の南縁は、ヒマラヤ山脈があり、14座ある8000m峰のうち、9座はチベット国境、もしくはチベット自治区内にあります。中国の野外指導者にとって、ヒマラヤは日本のアルプス。
また、これらの高峰にある氷河は、一年中膨大な水を供給し、中国の黄河、長江はもちろん、パキスタンのインダス川、インドのガンジス川、ブラマプトラ川、東南アジのメコン川など、アジアの大河の源流となっています。
チベット人
ざっくりいうと、チベット語を話し、チベット仏教を信仰する民族で、世界に700万人ほどいると言われています。中心はチベット高原ですが、インド、ネパール、ブータン、ロシアの一部の自治区など、世界中に広がっています。ブータンはチベット仏教が国教だし、ネパールのシェルパもチベット人。
どこか懐かしいというより、日本人といっても全く区別がつかず、DNA研究的には、漢人が支那に入ってきて、周縁に追いやられたのが、日本やチベットにいったとか。その後も、島国と高原という地理的隔離により、比較的共通のDNAが維持されたそうです。
言語も、助詞で単語の役割を決めていたり、主語が最初で最後に動詞が来るなど、日本語と共通点も多いです。人の顔色を見て結論を変える日本人とも通じるところがあるのか?
歴史とチベット仏教
一つの国の歴史をワンパラグラフで語るのは無理がありますが、今回のタブーを語るのに必要な情報なので。7世紀、ソンツェン・ガンポがチベット高原の部族をまとめ、最初の統一国家の吐蕃(とばん)ができました。同時に、インドからの仏教と、チベット高原の密教が融合し、独自のチベット仏教が成立しました。歴代の吐蕃の王は、唐の皇族を嫁に迎えたり、いっとき首都の長安(現在西安)まで吐蕃の勢力圏内にあるなど強大な国でした。
中世、ユーラシア大陸を席巻した、元のチンギスハンは、なぜかチベット仏教だけは保護し、元の国教としたため、チベット仏教は、東ヨーロッパまで広がることとなり、今でもロシアのいくつかの自治区はチベット仏教が残っています。モンゴルの国教は今でもチベット仏教です。
近世になると、チベット仏教の宗派であるゲルグ派が力をつけ、その教祖であるダライ・ラマが、チベット仏教の教祖となりました。ダライ・ラマ5世の時に、1962〜65年にかけてポタラ宮を創建し、完全な政教一体の国となりました。
近代になると、清による干渉が強まりましたが、清の崩壊後、一旦は完全なる独立国家となりました。1949年の中華人民共和国建国後、中国の軍事介入、内政干渉、同化政策が強まり、現在のいわゆる「チベット問題」として、さまざま問題を内在し今に至っています。

ポタラ宮 
チベット問題
上述した、中国の同化政策によるさまざまな問題をひっくるめて「チベット問題」と呼んでします。国際社会からは、民族弾圧と叩かれていますが、中国としては、チベットを死守しなければならない事情も見えてきます。
地理的要因
一つ目の地理的要因は上述した、「アジアの水瓶」に由来します。中華文明を育んだ2大河川である黄河と長江の源流がチベットにあるため、国の水源を他国に握られるというは、国家の存亡に関わるということです。そして、それを痛いほどわかっているが故に、周辺国であるパキンスタン、インド、東南アジア各国の水源となる、インダス、ガンジス、ブラマプトラ、メコンの源流を握り、外交的な有利を手放したくないのです。もちろん各国も黙ってはおりませんが、小国の集まる東南アジアでは、ミャンマー、ラオス、カンボジアなどのメコン流域の国に経済支援を行い、ASEANとして足並みを揃えさせない狡猾な外交を行なっています。外交ってこういうことなのか?
もう一方の地理的要因は化石燃料、レアアース、レアメタルなどの地下資源です。チベット自治区は120万km平方で、日本の4倍の大きさのところに、370万人しか暮らしておらず、ほとんどが開発の手を逃れてきた山岳地帯です。そして、中国当局は、現在の中国最大の油田の、2倍の埋蔵量があると推定される油田をチベット高原に見つけてしまいました。また、衛生解析により、ヒマラヤ山脈に沿う1000kmに及び世界の50%のレアメタル、レアアースの埋蔵量があるであろう「ヒマラヤ・ベルト」なるものを見つけてしまったそうです。どんな経済制裁を受けてもビクともせず、世界のサプライチェーンのアップストリームをがっつり抑えているのですね。
民族的要因
中華の歴史は、異民族との戦いの歴史でもあります。仮に今の漢人の国を中華とするならば、過去数回、全く別の民族によって国家が運営されてきました。有名なところでは、モンゴル人による元や、満州人による清などです。もし日本が、鎌倉時代や明治時代に、全く別の民族の国になっていたとしたら、現在の日本の文化や、日本人のアイデンティはどんなになっていたのでしょか?そのため、チベットだけでなく、ウィグル、内モンゴルなどの紛争は国家存続の脅威と映るのです。
世界的には、民族弾圧と批判の声が向けられていますが、中国が人道的な道を選択し、チベットに高度な自治や、いわんや独立を認めた日には、国内の自治区や、異民族の多い青海省、甘粛省(回族/イスラム系)などは、一気に独立の機運が高まり、アメリカに一目置かれる国ではなくなってしまうのです。
現在チベットでは、中国の同化政策により、チベット人と中国人の結婚には、経済支援、教育、就労などで優遇措置が得られます。チベットにきた中国高官や軍人の男性と、チベット人女性のパターンがほとんどで、その逆は、チベット人男性が中国の都市に出稼ぎに出て、そこで生まれる子供なので、チベットの中国化への影響は限定的です。
街には中国語の看板や、中国国旗があふれ、チベット人もすでにそれらは当たり前の状態として生活しています。中国資本により、チベット自治区全体のGDPの成長率は10%前後と、日本の高度成長期並みです。
俺たちだってぐっとらえて上手くやっているんだから、寝た子を起こさないでほしいと、悲痛な叫びが、何となく聞こえてくる拉薩の街でした。
ダライ・ラマ14世
チベットの政治は、仏教だけではなく、ダライ・ラマによって行われています。それだけ、国にとってダライ・ラマは絶対的な存在です。ダライ・ラマが亡くなると、チベット全土から、生前のダライ・ラマと近い特性がある子供や、占いなどから、次のダライラマが決まり、そして子どもの頃からダライ・ラマとして国の政教のシンボルとして生涯を終えます。そして現在14代目。
ところが、そのダライ・ラマ14世は、現在チベットにおらず、インドのダラムサラという土地で、独立チベット政府を樹立し、チベット自治区の政治は放棄し、事実上中国が行なっている状態です。なぜこのようなことが起こったのでしょうか?
歴代ダライ・ラマは、冬の間はポタラ宮にて、政治、勤行を行い、夏の間は、丘の上にあるポタラ宮から下りて、ノルブリンガという離宮で、勤行、生活を行い、政治はポタラ宮で行うそうです。これは冬は寒さが厳しく丘の上と下をいったりきたりが困難なので、生活も仕事もポタラ宮となったと聞きました。
1959年、中国の軍事干渉に不満を訴えたチベット人は、拉薩に終結し、大規模なクーデターが起こりました。チベット政府の発表では中国の鎮圧による死者87,000人。当時、24歳だったダライ・ラマは、命の危険を感じ、真夜中に側近と共に、このノルブリンガから徒歩でヒマラヤを超えて、インドに亡命を果たしました。例えが悪いですが、高市さんが、台湾に口出しすぎて、習近平から命を狙われ、総理公邸の職員と共に、太平洋をヨットでアメリカまで逃げる的な?ちょっと日本人にはイメージつきずらいし、その前に全滅しそう。ただ中国から見ると、長野県知事が、善光寺に立て籠もり、日本からの独立を目論んでいるように見えるのでしょうから、そりゃ長野県さんちょっと待ってって言いそうですよね。
ダライ・ラマ14世の住居であったノルブリンガは、世界文化遺産にも登録され、チベット人にとっては誇りです。ただ、ダライ・ラマ14世のことは誰も知らない、写真を飾ることすら許されない。中国国内のネットでは、検索不可能。国外からであれば、彼の動画も、肉声も聞くことができます。現在彼は91歳。ダライ・ラマ15世どうするか問題は、チベット人が誰も考えを口にすることができない、もしかしたら700年続いた文化が途絶えるかもしれない問題であり、それが彼の寿命からいつ起こってもおかしくない局面なのです。

ダライ・ラマ14世 
ノルブリンガ
文化大革命
文化大革命は、中国建国者であり、共産主義の理想を掲げた毛沢東が、次の華国鋒(かこくほう)らの経済優先の政策に国民の指示が集まったことに反発、嫉妬?し、自己の権力回復を目指して、中国全土を巻き込んで起こした政治運動です。確かに俺でも、日本の野外の混沌を、WEAという仕組みで、産業化の道を示し、次に引き継いだら、会員獲得優先で骨抜きのカリキュラムやメンバーになっていたらおーいっ💢ってなるかも。共産主義にしろ、資本主義にしろ、イデオロギーの違いで、個人的にはどちらかに強く偏る気はないのですが、文化大革命ではその運動内容がやばかった。「破四旧」の名のもとに、中国の古い文化、思想、風俗、習慣を全て破壊するという蛮行が全土でおきました。
訪れたガンデン寺は、ダライ・ラマを輩出し、チベット仏教最大宗派であるグルク派の総本山の寺院です。ポタラ宮が丘の上にできた寺院とすると、ガンデン寺は山そのものを寺院にした日本でいうまさに山岳霊場の趣です。規模的にはポタラ宮とほぼ同じで、最大時にほぼ同数の5000人近くの僧侶が暮らしていたそうです。中にある仏像や仏教絵画も息を呑む荘厳さで、ポタラ宮に負けず劣らず素晴らしと感じたのですが、実はこれらのほとんどが、20〜30年前に再建したものばかりということでした。
1966年から起こった文化大革命で、ガンデン寺は、1959年のクーデターの抵抗の拠点となったこともあり、書物から建物までことごとく破壊されてそうです。チベットのお寺では、高僧の死後、そのままミイラにして、お寺の中の棺に入れる文化があります。ガンデン寺でも、グルク派の教祖ツォンカパのミイラも文化大革命によって焼かれたのですが、ある僧侶が火の中に飛び込み頭蓋骨を拾い出し、再建の日まで秘密裏に守れてきたものが、現在のガンデン寺の棺の中にあるそうです。現在中国の教育やネットで、文化大革命による具体的な蛮行や、首謀者が毛沢東であったことは語らていません。中国人よりも日本人の方がよく知っています。実は日本にも、我々に隠されている歴史的事実があったりして。

ガンデン寺 
二人のパンチェン・ラマ
チベット仏教では、最高位のダライ・ラマと、それに次ぐナンバー2のパンチェン・ラマという位があり、どちらもチベット人の信仰の対象です。パンチェン・ラマの最大の役割は、ダライ・ラマの転生者を決めることです。そして、ダライ・ラマが次のパンチェン・ラマを選び、脈々とこの歴史が受け継がれてきました。現在パンチェン・ラマは11世ですが、歴史上初めて二人のパンチェン・ラマがいます。一人はダライ・ラマが選んだ正当なパンチェン・ラマ、そしてもう一人が中国政府が擁立したパンチェン・ラマです。そして、街には中国政府が選んだパンチェン・ラマの写真が溢れています。観光客は、これをありがたやありがたやと思い買っていきます。
肝心のダライ・ラマの選んだパンチェン・ラマはどうしているのかと聞くと、チベット人ガイドはわからないと言います。むしろ聞かないでって感じす?なんか嫌なことしか想像できません。そして、中国政府が選んだパンチェン・ラマは、フィリピンに亡命中です。そりゃそうだよねって感じです。次のダライ・ラマを決めるパンチェン・ラマが中国当局の操り人形ってみんなわかっていて、チベットに住めるわけがないですよね。もしくは、中国政府がフィリピンで保護しているとか?
現在ダライ・ラマ14世91歳。いつその日が来るかわかりません。そしてその時に、フィリピンにいるパンチェン・ラマが何をするのか?中国政府の傀儡のダライ・ラマ15世が生まれるのか?チベットの人にとって、望ましい未来になることを祈るばかりです。

中国政府によるパンチェン・ラマ11世 
お土産屋が立ち並ぶバルコル
おわりに
確かに、占いで国家元首を決めるやり方や、宗教と政治が結びついていることは、時代ともに変わっていかざるを得ない文化なのかもしれません。
チベットでは、2008年にも拉薩でクーデターが起こり、そこから中国の内政干渉、同化政策が一気に加速したそうです。一方で、交通インフラ、エネルギーインフラの整備や、観光産業の強化で、この20年間のGDPの成長率は10%前後と日本と比べるとその発展の勢いは一目瞭然です。
経済的発展は、チベットに多くの恵みをもたらしています。これらは中国資本がなければ不可能です。一方で、同化政策により、失われていく文化、伝統、民族があることも事実です。
ダライ・ラマ14世は、開発を受け入れつつも、チベット仏教の伝統を守る中道路線をとっています。そして、15世の転生者については、中国以外で、国籍や性別を問わない「自由な世界」から、インドで自らが樹立し、チベット仏教を保護するために設立した「ガデン・ポドラン・トラスト(信託統治財団)」が唯一決定するとの声明を発表しました。これに対して、中国政府は、激しく警戒しています。一方で、チベット人はこんなことが起こっていることも全く知るすべがありません。
チベットの方々にとって、心が自由になる日が来るのか、一緒に見守りましょう。





