第10回WEAJカンファレンス記念大会の企画としてこれまでWEAJをサポートしてくださったWEA指導者や、今回の記念大会に来日されるアメリカのすばらしい野外指導者の方々の中から特に、私自身や、WEAJの発展にゆかりのある方々を、10周年のお祝いビデオをメッセージ付きで紹介します。彼らのホスピタリティ、本物の野外指導力、研究業績、組織のマネジメント力を、私たちも目指したいものです。
ジョー・マイヤー
インディアナ大学名誉教授
彼は、WEAとの結びつきはさほど強くありませんが、2009年にWEAの最高位のポール・ペッツォアワードを受賞するなど、まさに業界団体を超えたアメリカの野外のレジェンドです。1998年に初めてCoalition for Education of the Outdoor(CEO)リサーチシンポジウムという研究集会に、アメリカのカンファレンスとしては、いやアメリカ自体に初めて行った時の会場がインディアナ大学のブラッドフォードウッドという歴史的な大学附属のキャンプ場でした。カンファレンスの後に、そのキャンプ場にしばらく滞在させてくれたり、キャンプ場の案内をスタッフにさせてくれたりとホストしてくれたのが彼でした。また、彼自身がインディアナ大学の野外を案内してくれて、当日筑波大学の大学院生として、日本ではまあまあ大きい大学だし、野外研もそこそこ学生がいた大学と比べ、その規模、サービスの内容の圧倒的な違いに衝撃を受け、いつか日本の大学もこうなりたいと具体的な目標へとつながりました。大学を辞めた今でもその目標は変わっていません。帰国の直前、彼の「Wilderness in American Mind」という授業を受講させてもらい、内容は全くわかりませんでしたが、彼がアメリカのウィルダネスを愛し、野外指導の価値を伝える思いはヒシヒシと伝わってきました。
そして、退職から約20年経ってしまった今、WEAJの10周年記念カンファレンスにとうとう彼をお招きすることができました。もちろんこの20年アメリカの野外はさらに進化していますが、間違いなくいつまでも変わらない普遍的な真理をお話しいただけると思います。オンライン配信も計画していますが、オンラインでは決して伝わらない彼の人間性、器の大きさにぜひ触れていただきたいです。彼との記念写真はアメリカの野外指導者もうらやましがる一生の宝となるでしょう。
クリス・キャッセル
元オクラホマ大学教授
WEAJの設立だけでなく、今の私の野外指導者として基礎を作る上で欠くことのできない人物のひとりです。彼女との出会いも、ジョーと同じ1998年のCEOリサーチシンポジウムでした。日本からきた英語も全く喋れない学生を3日間の大会中、ずっと面倒見てくれたのが、彼女と、カーラヘンダーソン、デブラスキーの3人の女性でした。中でもクリスは、特に気をかけてくれていたのを覚えています。今思えば、恩師飯田先生の指導教員であったベティーバンダースミッセンが、3人に糸を引いたのではないかと思えるくらい、初めから良くしてもらいました。クリスとは、大会中に、WEAについていろいろ話してもらい、当時日本でたった1人の博士課程の大学院生として、日本の野外の専門性の未熟さと、私の基礎を築いた花山キャンプが異例と扱われていたことに悶々としていた私に、花山でやっていることが、圧倒的なロジックとセオリーに裏付けされていることを知り、野外の専門職への大きなモチベーションとなりました。
その後、1999年は、文科省主催の国際野外教育シンポジウムのゲストを私が推薦できる機会を得て、彼女と北イリノイ大のクリフ・ナップをアテンドしたり、2000年のオリセンで行われた国際キャンプ会議では、クリス、カーラ、デブ仲良し3人組をアテンドしたり、2001年にはACAカンファレンスの折にクリスの自宅を訪れたりと、会う度に我々は意気投合し、WEAJの設立がいつしか2人の目標となりました。
奈良教育大学に職を得、2002年に大学のプロジェクトで、短期間ではありますがクリスと、彼女の教え子であるマーク・ワグスタッフを奈良教育大学に招き、本格的なWEAのカリキュラムの紹介に着手しました。また、2003年には、同じく大学のプロジェクトをとり、奈良教育大学の学生6名と彼女の学生とのコラボで、WEA発祥の地であるグランドティトンで2週間のWEAコースを経験しました。さらに、2004年には、日本野外教育学会が奈良教育大学で行われた折に、長野県戸隠で、信州大学の学生も交え、日米コラボのWEAショートコースを実施しました。これら一連のコースは、当時大学教員としては駆け出しの私の実力不足で、全国的な発信にはなりませんでしたが、そこに関わってくださった方々には確実にWEAの価値を感じてもらえました。
その後大学が移り、WEAコースの指導の機会を失い、WEAカリキュラムはあくまで私の教育実践の中の虫食い状態での提供となりました。その間WEAは、当時大学教員として、日本の大学にはその期間の長さらか導入困難と考えていたWEA18ポイントカリキュラムから、分割してカリキュラムを消化できる6+1カリキュラムへと改革が進み、にわかに日本導入の可能性が見えてきました。そして大学職を辞し、2012年には国内の大学教員、民間野外指導者などプロフェッショナルレベルの方々を対象に、WEAプロフェッショナルワークショップを東京YWCA野尻キャンプ場で開催し、日本初となるWEAカリキュラム、LNT、野外救急法などの技術を紹介しました。その後、このワークショップの実行委員及び参加者の有志がWEAJ設立準備委員会を立ち上げ、2013年の設立へとつながりました。
京都友愛の丘で行われた第1回WEAJカンファレンスでも、彼女はお祝いに駆けつけてくれ、WEAJ初代となる、Outstanding Wilderness Educator Awardを受賞しまいた。
私が彼女から受けた恩ははかりしれませんが、私たちの目標はまだ道半ばです。彼女から受け取ったトーチをいつまでも灯し続けるとともに、しっかり次世代への繋いでいければと思います。
マークワグスタッフ
元ラドフォード大学教授
ともに、WEAJ設立に向け歩み続けてきたマークも2021年にとうとう退職の年を迎えました。彼と初めて一緒に仕事したのは、先に紹介した2002年の奈良教育大学でのWEAワークショップでした。2002年のCEOシンポの折にクリスの務めるオクラホマ大学を訪れて、冬に予定しているワークショップの相談をすると、その瞬間に受話器をとり、「Hey Mark, Do you wanna come to Japan?」と即効交渉(命令)成立という師弟関係ぶりでした。実際その時のワークショップのプログラムのほとんどをマークが行い、後で学ぶこととなった本物のSPECを目の当たりにしました。
2012年の野尻湖でのワークショプでは、具体的にWEAJ設立に向けたプランを話し合いました。そのためには、もちろんWEA理事会の承認を得ること、そしてWEAコースの肝となるWEAエデュケーターが必要となることが確認されました。そして、我々が考えたプランは、翌年ノースキャロライで行われるWEAカンファレンスで、理事会にはかること、そしてその流れで、マークの務めるバージニア州ラドフォード大学にて、WEAコースを開催することでした。私はこのために、ほぼ1ヶ月アメリカに滞在することとなり、私にベットとデスクを与えてくれたのがマークでした。この1ヶ月間の彼との濃密な作業は、お互い能力に対する確固たる信頼と普遍の友情を気づくものでした。
2013年3月にバージニアでおこなわれたWEAコースには、はまやんや、大佑といった日本の冒険教育を代表する指導者や、いち早く日本で野外救急法のサービスを開始したWMAからとよが参加してくれるなど、豪華な指導陣に加え、当時大阪体育大学の大学院生だった、大杉夏葉さんが参加してくたことは、ルーをはじめ体大から優れたWEA指導者が出たことに繋がったと思います。
2021年2月、WEAカンファレンスにて再びマークと素晴らしいプロジェクトを考えました。それは、WEAJ10周年記念として、再びアメリカと日本の野外学生、野外指導者のコラボしたWEAコースを開催することです。マークは大学を引退しましたが、彼のアメリカの野外におけるプレセンスは健在です。実家の広大な農地を引き継ぎ、畑仕事、林の管理、狩猟にと、大学時代よりも体を動かしている様子。生涯ともに野外の道を歩むバディとなりました。
ケリー・マクマーハン
ベイラー大学教授
2009年のWEAの改革は、良い反面もあれば、悪い反面もありました。それは、WEAがアメリカの連邦教育省の認定を得るために、エデュケーターや公認団体として基準の整備や根拠の準備に、どうしても厳しい基準を設けざるを得なかったことです。そのため、インストラクー資格を持ってさえいればWEAコースを開催できたかつてのシステムから、やれエデュケーターとしての根拠資料を提出しろだとか、やれ団体公認のための資料を準備しろだとか、そのため、それまでWEAを支えてきた多くのインストラクターが去ることとなりました。かつては数百人いたカンファレンス参加者も、いっときは50名程度になったこともあります。
そして、それを上向きに変えたのが、内情はわかりませんが、ケリーだったのではないかと思います。彼女は、ベテランのメンバーと常にコミュニケーションをとり、彼らの尊厳を維持とともに、メンバーにジェネレーション間のつながりを生みました。また、メンバーに対する発信の中には、常にWEAJへの気配りを入れてくれて、新しいメンバーには、初めからWEAJがあったかのように感じさせ、カンファレンスでの私のプレセンスも一気に確かなものとなりました。彼女の任期は2年と短期でしたが、その後の2期ぐらいは、まさに彼女中心にWEAが回っていました。現在もなお、WEAのCEが集うCommittee of Outdoor Education and Leader(COEL)のディレクターとして、往年のWEAインストラクターたちを率いています。
2015年第3回WEAカンファレンス福岡大会にお招きし、参加者からの彼女の人気は絶大でした。その後、公開募集しましたが参加者が集まらず、予定通り2人で残雪の富士山を登ることとなりました。その前日、日本のYMCAの紹介も兼ねて、東山荘に宿泊しましたが、夕方、東山荘のチャペルで、雄大な富士山を夕焼けバックに、それまでで一番たくさん自分達のことを話しました。普段は、私のことをからかったり、メンバーの前ではユーモアある一面を見せるケリーですが、ストイックまでに野外に向き合う姿勢に触れ、本当に素敵な野外指導者だなぁっと尊敬しています。
今回の10周年記念お祝い動画でも、「ビデオ嫌い、やだやらない」と言いながら、カメラを向けると完璧なパフォーマンスを見せてくれる、まさに私の弱いドSタイプの極みです。私が2、3年上のほぼ同期ですので、これからもお互いいじり合いながら、つかず離れず刺激し合っていきたい同志です。