コロナ禍の海外渡航レポート:日本出国から検疫明けまで

2022年2月4日から19日まで、アメリカの学会参加や、団体とのブランチ契約のため、オミクロンが猛威を振るうアメリカの出張に行ってまいりました。国内でも厳重な入国規制が行われてますので、今回のアメリカ出張で経験したコロナ関連の情報を共有します。もしかしたら今後、これ以上きびいい(理不尽な?)対応は起こらないかもしれませんが、コロナ禍で海外渡航される方は参考にしてください。

日本出国編

PCR検査キット不足

私が出国したのが2月4日とまさに第6波拡大中でした。これまで野外コースの参加者に対して抗原検査を課していたり、飛行機での移動時には、空港でPCR検査をしたりと、比較的検査に慣れていて高を括っていたのかもしれませんが、とにかく出国前のPCR検査が、どこもキット不足で予約が取れないとピンチとなりました。特に日本人は誰かがやり出すと、自分もと無駄打ちをする傾向にあるし、政府も無料のPCRなんてやるもんだから、ニュースでも報じられていた通り、一気に検査キットが不足しました。つくば市周辺の機関をしらみつぶしに連絡して、なんとか自宅から最寄りの機関として隣の市で検査を受けることができました。結果として、非医療機関のこの検査は、使い物になりませんでしたが。

フライトが消える、カスタマーデスクもクローズ

こちらは半分自分の責任でもありますが、今回空港に行ってみるとオンラインの旅行会社を通じて予約したフライトがありませんでした。今回アメリカン航空でしたが、航空会社も旅行会社が手配したので代替の便は予約できないとの回答。これは焦りました。フライト時間が10時台で、旅行会社の海外フライトのデスクが開くのが10時なので、ジタバタしても仕方がないので、10時まで空港で待って電話をしてみると、海外デスクは現在閉鎖中。ガーン。流石にちょっとイラッときました。国内旅行デスクに連絡をして、国際便に回してもらい、翌日にフライトを手配できたということです。旅行会社も、フライトがキャンセルになった場合、航空会社が代替便を手配してくれませんでしたかと、たらい回し状態。きっとの旅行会社も、特に海外旅行は、きびいしい状況なんだろなと思いました。ここしばらくリコンファームなんてしませんでしたが、やっぱりやったほうがいいんでしょうね。

フライト解決も陰性証明が認められず

結果として、出国が1日遅れたので、時間的になダメージはなかったのですが、つくば市近隣の薬局でとった陰性証明がアメリカン航空では認められないとのことでした。テストを受ける時に、「英語表記があるかどうかは検査機関が別なのでわかりません」と、ちょっとやな予感がしたんですよね。ただ本当にそこしかなかったので藁をもすがる思いでテストを受けたのですが。基準のテストは満たしていたのですが、日本語の証明書なのでダメですと。「出国はできても、アメリカ国内で認められません」と脅されると、引き下がるしかないですよね。渋々空港の病院の出先の検査場で23,000円を支払い検査を受けました。無料の検査場は予約が取れずいっぱいなのに、こちらはその場で検査OKと、なんともはやです。

日本入国編

ネットと英語が少しできればアメリカ国内はPCR検査がすぐ受けられる

国内からアメリアのPCR検査を検索しても、なぜか有益な情報が得られなかったのですが、現地で検索してみると、かなりヒットし、ビジターでも安心して検査を受けられました。予約も簡単。今回最終目的がデンバーでしたが、72時間以内ということなので、カンファレンスのあったブラックマウンテンという田舎町で受けることができました。アメリカでは、救急のための診療所みたいなチェーンが多く、小さな街でも必ず一つはありました。アメリカで医療機関にかかるのは初めてで少々構えましたが、Tシャツ、ジーンズのお兄さんが事前の問診で、「旅行楽しんでるかい?」なんて気軽な感じでチャチャっとやってくれました。代金は200ドルと円換算でちょうど同じぐらい。日本に帰るためと渋々払いました。

ガーンなんと陰性証明拒絶

国際便のチェックインは、最初の出発地であるデンバーで行います。その際アメリカン航空の職員に、オンラインの誓約書や、陰性証明を求められて、準備万端デンバーを飛び立ちました。今回の成田へのハブ空港がダラスで、いよいよボーディングという時に、デンバーではOKだった陰性証明では日本に入国できないとの説明。またもやガーンです。理由は法務省が指定した検査方法ではないからと。ダラス空港にも各ターミナルに検査場があり、そこでもまた200ドル。日本出国時といい、航空会社と検査業者の癒着を感じぜすにいられません。この日は、空港のホテルは高いので、無料シャトルがあるモーテルを探して滞在しました。

国内入国

ある程度入国の検査に時間はかかると覚悟していましたが、ここまでかという感じです。1530に着陸して、検疫施設にチェックインしたのが、夜の12時でした。以下のタイムラインです。北京の選手たちもこんなしんどい思いをしたのでしょうか?

1530成田着
1630検査待機場へ(1時間30分待機)
1800検査終了、検査待ち待機場へ(3時間30分待機)
2145税関通過、到着ロビーでバス待機(30分待機)
2230バス乗車
2330隔離施設着
2400チェックイン

まず、飛行機から降りて、すぐにある程度まとまった人数で、待機させられます。アメリカ軍関係者とそれ以外で分けられたのですが、思った以上に軍人さんが行き来しているのですね。その後、10人ぐらいのグループで、スタッフに誘導され、入国審査の前に、PCR検査を受けるために1時間30分ぐらい待機しました。ここで、入国後、公共の交通機関が使えないことや、3日間の政府指定のホテルで検疫をするなど説明を受けます。関西に帰るという方が、スタッフからレンタカーかタクシーで帰ってくださいと説明を受けブチ切れていました。

PCR検査終了後、今度は検査結果を待つための待機ですが、これが長かった約3時間30分ぐらい。その間、原則椅子から動けず。すぐ後ろの高齢者の方が本当に具合悪そうで、めちゃくちゃ心配しました。また、食事と飲み物の支給があったのですが、500mlの水と、おにぎり1つ。機内の最後の食事から10時間ぐらい拘束されていることになるので、普通に人権侵害ですね。さらに私は円がないので、自動販売機も使えず。拷問のような時間でした。

検査結果が陰性になった順に、出国審査、税関審査とここはいつも通りですが、到着ゲートを出ると、今度は、ホテルまでのバス待ちの待機。これはさほど長くはありませんでしたが、なんで、事前にわかっている入国者数に対して、バスが準備できないのだろうと野外だたっら、アウトなロジですね。

そして、最後のオチは、連れて行かれたホテルが両国のアパホテル。なんと、浅草オフィスの目と鼻の先。ダメもとで仕事のはかどるオフィスでの待機はダメですかと聞きましたが、ここまでの厳重にしているのにいいはずがないですよね。


検疫生活編

法定検疫

バスがホテルに到着してからも3、4名ずつにチェックインの手続きが行われ、同乗されていたかは皆さんの極度の疲労状態でしたので、私はあえて、他の人に先に行ってもらいました。最後に残った3名の方の中に、コロナ禍でもアメリカと頻繁に行き来している方がいて、ここまで、無駄な手続きが多く、時間がかかり、対応がまずかったのは初めてとのことでした。以前成田着で都内にホテルが手配できないため、そのまま沖縄まで連れて行かれ、沖縄のホテルで隔離されてなんて馬鹿げた話も知りました。

検疫中の部屋は、畳3、4畳といったところでしょうか?18階のため窓も開かず、玄関のドアも開けていはいけないという、まさに密室状態。毎日800、1200、1800に幕内弁当と水が配られ、それで足りない人は、自分でデリバリーを頼んでくださいということでしたが、弁当など足が早いものはダメという。しかも検疫中はなぜが禁酒という規則ですので、デリバリーは全て下で検査され、お酒が入っていると抜かれるという徹底ぶりでした。

初日こそ、これはきびいしそうだなと思っていましたが、蓋を開けてみると規則正しい生活と、朝夕の運動、たまった仕事の処理などで、あっという間の3日間でした。今回アメリカで完全に時差ぼけが解消できたので、帰ってきて逆時差ぼけからリカバリーするのに、ちょど良い生活スタイルとなりました。自分でやることを見つけられる人には、快適な生活かもしれません。

法定検疫終了

3日間の検疫が終わると、PCRの結果が出た人から、また成田に連れて行かれます。ホテルに家族に迎えに来てもらうことはなぜかできないというルールでした。成田からは、公共の交通機関やタクシーが使えず、帰国者用のハイヤーか、乗り捨てのレンタカーで自宅まで帰ってほしいということでした。さすがにこれは受け入れ難く、徒歩20分のところにオフィスがありそこに自動車があることを伝えると、「荷物を持ってホテルから出ると、近隣の住民からクレームがある」との理由から却下されました。よくある責任転嫁か、もし近隣の住民が本当にクレームをつけていたら、いずれにせよなんという情けない国なのだろうか?「では荷物をおいて、車をとってきます」と言ったら、却下する根拠もなくなり、渋々了解してもらいました。ただ、責任者の方もなんでこんな馬鹿げたことややっているのかと私に同情してくれている表情でした。もしあそこで成田に連れて行かれたら、その後どうしていたでしょう。おかげで帰りは一瞬で自宅につきました。

自主検疫

自主検疫は、入国時に申請した場所以外にいることはできません。私は自宅と、苗場のマンションを申請しました。自宅で一泊した後、あまり家族と一緒にいるのもリスクだし、ずっと家にいるものもストレスなので、翌日朝に早速苗場に移動して自主検疫を継続しました。帰国翌日から、毎日MySOSという政府のアプリから、現在地確認の連絡が来て、ビデオ通話で対応しなければなりません。毎日9時台と、16時台に連絡あり、それ以外はありません。このパターンをつかむと、毎日朝8:00からファストトラックを堪能し、9:00過ぎに上がり、ビデオ通話に対応し、昼は程よく仕事をこなし、17時過ぎに気が向いたらナイターに行くというなんとも健康的な検疫生活を送りました。この時は、検疫期間が7日間なので、法定検疫が3日間、自主検疫が5日間と、帰国後1週間で全ての検疫プロセスを終了しました。

まとめ

いろいろ学んだ今回のアメリカ出張ですが、今後の教訓として以下を挙げます。

・やっぱり必要リコンファーム。時間に余裕がある方はいいですが、この便しかないって時には、事前にデスクの営業の確認、事前のフライト運行状況の確認など、昔はドキドキしながらやっていたのに、慣れと油断ですっかりやらなくなってしまいましたが、やっぱり必要ですね。

・無料、格安のPCRは諦めて、大人しく空港ですべし。そのために時間に余裕を持って空港に。ただ、無駄にお金をかけるのもいいことだと思いませんので、その場合は、航空会社に問い合わせ、どのような証明を準備したら良いか、しっかり裏どりをしておく必要があります。

・政府の感染対策にロジックなし。ルールを超えた社会への配慮の意識を。今回入国から法定検疫までは、全く感染予防とは無関係な厳しさがありました。一方で、自主隔離期間の追跡システムは、全く意味を成しませんでした。国民を信頼できない政府と、自立した感染対策ができない一部の国民が生み出した、不毛なシステムでしょう。このシステムがなくとも、感染予防する人はするし、しない人は結局しないので、いくら経費をかけたかはわかりませんが、やってもやらなくても変わらないというのが実感です。コロナ対策は結局は政策ではなく、民度の問題でしょうね。それも長期的な政策か。

検疫明けの帰りは法師温泉で疲れを癒し(疲れたか!?)平常運転に戻りました。